背景
僕は2021年10月に川崎市にある元住吉(渋谷から各駅停車で20分ほど)という大好きな街から渋谷に引越した。
引越しをした理由は「飽きてきた」「コロナ渦のリモートワークを独り者のワンルームというものが受け入れられない」「それが都心であるわけでもなくベッドタウンであること」「将来的な職住隣接」などと今考えればかなりボンヤリとしていたものであり、このプロセスは決して褒められたものではないが、結果論としては大正解で、その方向性は意外なものであった。
身に起きた変化と要因
渋谷に引っ越してどのような変化が起きたか、それは「外出が極端に減った」それに伴い「自炊にハマった」である。そして重要なのは「外出の少ない自分に対して心底満足できるようになった」ことである。
なぜ自炊にハマったのか、なぜ外出が減ったのかというのは直接的に居住地が影響している理由ではない。自炊は残り物を使って飯を作り、更にその残り物で飯を作り、というサイクルを形成してその上で日々の食事が転がっていく事に楽しさを感じたからだ。また、外出が減ったのは仕事でキャッチアップしないといけない技術が緊急である状態が続いているからで、これら自体はどこに住んでいようと起こり得た変化であると考えられる。
しかし、「これらが我が身に定着したことに対して満足感を得ている事」は渋谷に住処を構えたことが好転に起因していると考えている。
引越し前、僕は悩みの一つに「なんとなく一日中家の近辺で過ごすのは嫌だから街中に出かけるけど、結局快適に過ごすことができない」を繰り返してしまうという事があった。特に用事が無い日に一日中家の近辺で過ごしても、一人で街中をふらついても、一日の最後にはなんとなくやりきれない思いを抱えてしまっていた。言ってみれば、「都会の空気を吸わないとやってられない病気」である。どれだけ自宅に良い作業環境があっても、面白い映画や本に出会っても、仕事に集中できていても、外出して都会の空気を吸えないだけで何故か不満が溜まる状態だ。
故に「都会の空気を吸いたい」と「外出して長い時間を過ごす」を一緒くたにして自分の中の幸福の本質が見えなくなっていた。言い換えれば、自分に本当に必要だった「都会の空気を吸う事」と勘違いしていた「外出」をしなくても満たされる事に気が付いたということだ。これが外出が減ったクリティカルな要因である。
渋谷に引っ越す、となるとまずやろうと考えたりイメージされるのは「終電を超えても友達を渋谷でワイワイと遊べる」だとか「毎日うまい店で飯が食える」だとか「渋谷に住んでいる日比野を呼んでやろう!となる機会が増える」だとかであろう。僕もなんとなくそういう華やかな生活を思い描いていたが、なんとも皮肉なタイミングで自炊にハマり外出が減るという正反対の方向性に突き進んでいった。そしてそれが幸せのツボにハマった事で大事にしたいことの本質に気がつくことができたのである。
結果論としてだが、渋谷に引越したことは疑いの余地のない大正解であった。
補足
昔僕は池袋に住んでいたのだが、こんな事に気が付くことはなかった。理由は、コロナ渦前で職場を始めとする活動拠点が分散していた故外出というものについて考えなかった事もあるが、金銭的な事情と共同生活で自由が少なく「外出」以外の選択肢がなかったことが大きな要因だろう。
自宅環境という資本を整えるには、「その日を快適に過ごす」以上に銭がかかるのだ。金銭的にある程度恵まれている故に掴みとれた幸せであることを忘れないようにしたい。
また、現在の19歳独身という身であれば渋谷のワンルームはある程度適合的であるが、今後家族が増えたりした時には維持費の高い都心部に住み続ける事はよほど金銭的に余裕がなければ適合的ではなくなるだろう。その時の転居先に求めるもの、転居先での生活で「都会の空気を吸いたい病気」とどう向き合うのかは熟考を重ねなければならないだろう。
最後に、以下の2点に関しては今後詳しく記事にしたい。
- 都会の空気を吸わないとやってられないのはなぜか、これは一体何なのか
- なんとなくの選択で住居・仕事を決めてしまっていたのではないだろうか