問い「なぜ高校を中退したのか」への答えにカッコつけてた

問い「なぜ高校を中退したのか」への答えにカッコつけてた

僕と関わる人であればほぼ必ず知る事になる事だが、僕は高校を中退していていて、最終学歴が中卒だ。僕の属するコミュニティに中卒なんて滅多にいないので、当然のことながら「なんで辞めたの?」なんて事は会話の中でこれまで多く聞かれてきた。そして、これに対する僕の最近の答えは知らず知らずのうちに「当時考えていたままの理由」とは微妙に違う「黒歴史を都合よく解釈した物」へ変化している事が気になっていた。

今回はこれについて深堀りしていく。(進路選択の理由・生い立ち背景は今回は堀り下げない)

問いへの答え

まず、この問いへの今と中退当時の受け答えはザックリとこんな感じだろう。

  • 参加したいイベントやコミュニティへのアクセスにおいて物理的なハードルがあるのが不愉快だったので、東京で暮らしたかった
  • 両親からの教育が学生で扶養されている身分であることを理由に自由を制限されるものであったため、両親の扶養を外れる事を優先したいと考えた

中退当時

  • 起業して、会社を大きくさせて、上場させたりして、金持ちになりたい
  • 東京に行きたい
  • 大学進学も、高校卒業程度認定試験にに合格して、たっぷり時間がある分での活動実績を引っさげればAO入試でどっかしら大学に入学できるし問題ない
  • このまま在学し続けても、有意義に過ごせる事が自分に見込めない

答えが変わってしまったのはなぜ?

簡単に言うと「本当にやりたいこと」と「カッコいいものに付いていきたい感情」が共存していて、無意識に「本当にやりたかった事」に基づいた返答をしていたからである。

ここで言う「本当にやりたいこと」というのはお金と時間の自由が与えられた時にあらゆる手段を使って一目散に取り組む、または取り組むであろう事柄・目的だ。例えにしては極端だが、僕の上京時の所持金はわずか5万円だった。結局、高校を中退して身を粉にしてまでやりたかったのは、「東京で暮らすこと」と「扶養を外れ自由にお金を使うこと」である。そしてそれはなんとか達成できた。

中退当時は前述のように、今では目も当てられないほど考えが浅く甘ったれていていた上に「本当にやりたいこと」とただの憧れを混同して自分を見失っていた。別に起業してどんな事業がしたいか、大学に進学して何を勉強したいか、なんてハナから考えていなかった。カッコいい事を口走っていただけだ。「本当にやりたいこと」でさえ挫折の連続なのに、ただの憧れの感情で口走るやりたいことなんて当然身が向かないし、そのギャップには年単位で苦しんでいた。

憧れとの折り合いがつかない中では、「なぜ高校を中退したのか」の問いに対してムズ痒い思いをしつつも今のように答えるようになっていった。身が向くことも無いのに、起業したかったから、だなんて言えないからだ。ちなみに、ここの混同から目覚めたのは昨年の秋暮れの頃で、「本当にやりたいこと」が前述の2つだけであったことを受け入れた上で、次の目標とその理由を定めた。

運命

僕には後悔が長引く事というのが想像できない、もしくは体験したことがない。後悔というものは行動の後の一瞬の一時的なもので、それ以降は運命、すなわち人生においてコミットするようになるかもしれない事、人生の意義になり得る物そのものだと考えている。

正直言えば、今の考えを持ったまま5年前に戻れるのであれば、そのまま高校に通学し続けて受験を経て大学に進学する選路を選ぶ。今は「大卒は選択肢が増える事」を実感を伴ってを知っているからだ。新卒採用があって、学生ブランドがあらゆるところで使えて...と同世代に大学生が増えたここ2年間で自分の選択した進路のデメリットを痛感する事は実際にあった。だが、後悔の感情はここには一切ない。今すぐから大学に進学しようとは考えてもいない。

今のところ進学を考えていないのは、前述の通り次の目標と理由が定まっているからであるが、後悔の感情がないのは、運命を受け入れる考え方がベースにあるのであろう。お金に対するコンプレックスを植え付けらたきっかけ、高校生の時に自信過剰で甘い考えになったきっかけは避けられるものではなく運命であっただろうし、人生を賭けて戦う場所を天から受け取った、と本気で信じている。